Kaz_g’s diary

one for all, all for one

休憩は大切というあたりまえの話

今日は休暇をとりました。

午前中だけですが、なんかいい感じです。


理由は通院なのですが、朝から自分の

裁量で行動できる自由さがたまりません。

病院に行くために休暇をとってるのに


自由?

そう感じられる方もいらっしゃるでしょう。

客観的にはそういう答えが多い気がします。

でもなぜか自由を感じている自分がいる。

これは普段自由裁量がないことの

証明なのかもしれません。

やっぱりもっと自分に対して

ゆるいタスクにする必要がありそうです。

僕が軽視しているのが

自分の心の声、や気持ち。

例えば仕事が終わって家に帰り

食事を終えて一段落・・・

さてトレーニングをするか。

このとき、自分の心はどう感じているか?

やった、トレーニングができるぞ!

とは思っていません。

どちらかと言えば

いや、やだな~という心に蓋をするように

心を無にしてトレーニングに向かう・・・

そんな感じです。

習慣化に成功すると

多少やりたくないことも

継続できてしまいます。

もちろん継続しているものが

何かを習得する行動の場合

その成果を得られる可能性があります。

でも心の底から求めている行動ではない

あくまで将来のため、だったりするわけです。

この心が求めるものと

心が拒むもの。

人生における行動内容が

心の声はどう反応しているのか。

これはとても大切なことです。

僕はこの心の声を、軽視しているわけです。

その結果、心身の不調として現れます。

必要なのは自分に対して

気配りをするということ。

大切な人に気配りするように

自分に気配りをすること。

これが大切なんだと思います。

自分の心の声に耳をかたむけていますか?

僕は今日、自分にしっかりと寄り添って

声を聴いてあげようと思います。

おそらく、体調が悪くなるまでに

心の声は随分と、訴えていたんじゃないかと思います。

そしてその声が届かないとわかると

次の手段として、心身の変調として

表現するのだと思います。

ここまでの見解は僕の個人的なものですが

おそらく本質をついている気がします。

その確信を得られたのは、今までの僕が

常に自分との対話を全くせずに

過ごしてきた結果

何度も体調不良という結果で

休憩を余儀なくされてきたからです。

もっと早く気が付いてあげるべきでしたね。

1000文字になりました。

ではまた!